2020年10月01日
新型ウイルス
客員主任研究員
松林 薫
厚生労働省は2020年6月19日、接触確認アプリCOCOA(COVID-19 Contact-Confirming Application=ココア)をリリースした。スマートフォンにインストールしておくと、新型コロナウイルスに感染した人との接触情報を知らせてくれるという。筆者がリリース翌日使い始めると、8月末に接触通知を受け取り、PCR検査をすることになった。この3カ月余、アプリを使った感想と見えてきた課題をまとめた。
「ウイルスにさらされた可能性があります」―。8月28日(金)未明、スマホでメールをチェックしている最中、突然プッシュ通知が現れた。「まさか!」。一気に鼓動が速くなった。どのアプリからの通知なのか、確認する間も無く消えてしまった。だが、心当たりは1つしかない。2カ月前に入れたCOCOAだ。
あわててアプリを開いてみると、「陽性者との接触は確認されませんでした」との表示が...。「見間違いだろうか」―。困惑したのも無理はない。事前の計算では、使用2カ月ほどなら通知が届く確率は極めて低いはずだったからだ。
(写真)筆者
厚労省のホームページによると、COCOAの仕組みは以下の通りだ。このアプリをスマホに入れ、「ブルートゥース」という無線通信機能をオンにすると、半径1メートル以内に15分間とどまった他のスマホの識別情報を記録していく。この識別情報はだれのスマホか特定できないようランダムに生成し匿名化する。
一方、氏名や電話番号、位置情報など個人を特定できる情報は記録しない。データは厚労省のサーバーには送らずスマホ内に格納するため、自分の行動履歴を国や他人に握られたり、個人情報が流出したりする心配はない。
万が一、自分が新型ウイルスに感染していることが分かった場合には、アプリを通じて厚労省のシステムに登録する。このとき、陽性者だけに発行される「処理番号」を入力しなければならないため、イタズラ目的で登録はできない仕組みである。
陽性者がアプリ経由で登録すると、通知サーバーを通じて匿名化された認識番号が他のユーザーのスマホに送られる。それを受け取ったアプリが蓄積データと照合し、過去14日以内に濃厚接触した記録があれば警告を表示する。
その際、検査の受け方などの対処方法もアプリが教えてくれる。また8月21日以降、通知を受けた人は無料のPCR検査を優先的に受けられることになった。このアプリを利用する最大のメリットと言ってよいだろう。ちなみに筆者の近所の病院で自費検査を受けると、2万5000円かかるという。
(出所)筆者
筆者は毎晩、アプリを開いて警告が表示されていないか確かめた。2カ月経っても、「陽性者との接触は確認されませんでした」という画面が出るだけ。もっともこれは想定内。実は通知を受け取るケースは、現時点では極めてまれだからだ。
と言うのも、接触を記録できるのは同じアプリを入れてブルートゥースを起動している端末だけ。9月4日時点でも、アプリのダウンロード数は約1600万件、総人口の13%程度でしかない。陽性者が登録した数も590件にとどまる。
さらに、アプリの条件を満たす接触が発生する場面もそれほど多くはない。筆者は自分の手の長さを基準に1メートルのソーシャルディスタンスを頭に入れてから、アプリを使い始めた。しばらくして気づいたのは、条件に合う接触者は、地下鉄など公共交通機関で隣り合わせた人にほぼ限られるということだ。
例えば席に並んで座り、4〜5駅過ぎれば「濃厚接触」になる。外出する日には、こうした接触が10~20件ほど生じた。一方で、買い物や徒歩での移動ではまず生じない。1人で外食したり、喫茶店で仕事をしたりする場合も、最近は店側が席の間隔を広くとっているので条件に当てはまらない。
筆者の場合、リモートワークが増えたため、最近は電車を利用する機会も週2~3回にとどまる。このため2カ月間で対象になった接触は、多めに見積もっても400人程度だと考えられる。アプリの普及率からすれば、そのうちスマホに記録されたのはせいぜい50人程度だろう。筆者が感染者の多い東京都に住んでいることを考慮しても、その中に陽性登録者が含まれている可能性は1%を大幅に下回るはずだ。
だから、通知を見てまず疑ったのは、自分の見間違いとアプリの不具合(バグ)だ。実際、厚労省のホームページにあるQ&Aを読むと、アプリのバグにより、そうした現象が発生するケースがあるという説明を見つけた。アンドロイド端末の場合は、プッシュ通知ではなく、アプリ本体の表示のほうが正しいようだ。ただ、筆者が持つiPhoneの場合は「厚労省に問い合わせるように」と書いてあった。このため、すぐに記載されたアドレスにメールを送った。
その間、ネットでこのバグについて調べてみると、いくつか記事が見つかった。プッシュ通知が間違いかどうかは、スマホの設定画面から見ることができる「ログ(記録)」を調べれば分かるという。早速調べたところ、陽性者の登録した識別番号との一致が1件あることが分かった。この段階で通知が「誤報」ではない可能性が高まったので、この日に予定していた対面での打ち合わせは、先方に連絡してオンライン会議に変えてもらった。
(写真)筆者
厚労省からの回答が届いたのは、週明けの8月31日(月)。問い合わせが多いせいか、思ったより時間がかかった。プッシュ通知のほうが正しいという内容だ。ただし、熱や症状が出ていなければ、そのまま日常生活を送ってもよいと書いてあった。筆者は無症状だったが、念のため保健所に連絡してPCR検査を受けることにした。大学での授業や対面取材など、万が一相手に感染させると大変なことになる仕事を抱えていたからだ。
翌9月1日(火)に地元の保健所に電話すると、発熱と症状の有無、海外渡航歴などを確認され、PCR検査を希望するかを聞かれた。希望すると伝えたところ、あっさり認められた。ただしその場合は結果が陰性であっても、スマホの通知を受け取った日から2週間は自宅隔離が必要になるという。保健所に連絡しなければ日常生活を送れることを考えると不合理なルールに思えるが、検査の処理能力が限られる中で申し込みを減らす狙いがあるのかもしれない。
2日(水)、検査キットが郵送で届く。唾液を入れる容器と説明書、問診票が同封されていた。検体の回収は4日(金)の午前中。当日朝、容器に1ミリリットル以上の唾液を入れて蓋(ふた)を閉め、表面をアルコール消毒して袋に入れる。これを保健所の職員が回収していく。職員が自宅の前に到着すると携帯に電話をかけてくれ、外に出て手渡した。近所に知られないよう、かなり気を使っている様子がうかがえた。
結果が判明したのは5日(土)。保健所から電話で「陰性でした」と連絡があった。感染している可能性は低いと思っていたものの、やはりホッとした。また、当初の説明と異なり、「アプリの通知を受けて検査を受けた人は、陰性という結果が出た時点で自宅隔離は必要なくなる」と言われた。この1週間でルールが変更されたのかもしれない。ただ、念のためその週は自宅で自主的に隔離を続けた。
アプリを使ってみて感じたのは、リリースから時間が経っているにもかかわらず、「未完成」と指摘されても仕方ない品質にとどまっているということだ。筆者のケースのように、プッシュ通知と本体の表示が異なるといった深刻な不具合が残っている。おそらく、矛盾する通知を受け取って混乱している人がたくさんいるはず。厚労省が提供するQ&Aやメールも文字ばかりで分かりにくく、IT(情報技術)に詳しくない人は適切に対応できないのではないか。問い合わせへの回答にも時間がかかり、現場の人手不足が深刻であることがうかがえる。
アプリとの相乗効果で感染拡大を防ぐためのPCR検査にも課題が多い。そもそもこのアプリは、感染したユーザーが無症状の段階で検査を受けて隔離されることにより、本領を発揮する。ところが現状では、通知を受け取っても症状が無ければ検査を受ける必要はないとされている。むしろ、厚労省の説明文などからは、なるべく検査を申し込んでほしくないというニュアンスさえ感じた。現在の体制では処理が追いつかないのだろうが、アプリ本来の趣旨からは外れた対応だ。日本経済新聞によると、そもそも8月21日以前、通知を受けた人の8割が検査を受けられなかったという。
アプリで感染拡大を抑え込むには、試算によって異なるものの、総人口の4~6割が使う必要があるとされる。少し考えただけで、このハードルが極めて高いことが分かる。例えば、日本で通信アプリの定番となっているLINEの利用者(MAU=月間アクティブユーザー)でも人口カバー率は60%台。インスタグラムやフェイスブックでも20%台に過ぎない。一方、9月29日時点でCOCOA のダウンロード数は1773万件だから、14%程度しかカバーしていない。
アプリによる感染拡大防止は冬を迎えるこれから、さらに重要性が増す。政府の「GoToトラベル」や「GoToイート」といった経済振興策を安全に進める上でも、不可欠なインフラと言えるだろう。政府は経済団体への協力呼び掛けなどで普及を図っているが、その前に不具合の修正やQ&Aなどの充実を図り、通知を受け取った人が気軽にPCR検査を受けられる体制を整えるべきだろう。
松林 薫